2003.6.4
人肌が恋しい夜、猫が傍に来た、「お前だっていいんだよ」と膝にのせる。
膝の上に乗るのが嫌なので、逃れようと身悶えする。膝に乗ってくれない猫は猫ではないよ!
まったく現在我が家に、為にならない猫が二匹いる。「役に立たないもの好きでなかったですか?」
「そんなこと言ったっけ?今朝何を食べたっけ?」

2003.6.5
向こうから凄い美人がやって来る!あっ!又一人、今日は良い事が
あるかもしれない、何だか幸せになってきた。美味しそうなケ−キを売っている!
向こうから凄くない美人がやって来る!又一人、並より外れた美人がやってくる。
やはり思った通り今日は良い日だ。ところで今何の為に為に歩いているのだろう?
そうだ、散歩しているんだった。

2003.6.6
北海道の小樽で生まれ、石切山と言うとんでもない田舎に住み、
小学校の4年の時、札幌のすすき野という恐ろしい処にやってきた。現在の新宿歌舞伎町にあたる。
環境のせいか、友達は皆悪ガキで、現在とはその悪さにおいて質とスケ-ルが違っていた。
その頃は今と違い、クズ屋さんに金属が高く売れたので、学校中のスト-ヴの
蓋をはずし、仲間と山分けしたものだ、勿論犯行は直ぐにバレ、そりゃあ酷い目にあった。
そのお金は皆花火に化けて、戦争ごっこをしたのだ。平気で花火を相手に撃ち込んだ。
怪我がなく無事に育ったのは、奇蹟としか言い様がない。風の便りでは、十人の仲間の内三人が
ヤクザ者になってしまった。その内の一人は、何年も前になるが、札幌でピストルを振りまわし新聞種になっている。
彼とは派手な殴り合いをやった事があり、今そんな事をしたら、確実に殺されるかも。
皆良くやってくれる、そう言う僕も碌な者ではないが。

2003.6.7
この様に色々書いているが、知らない人は作り話と思うことだろう。
ところが私は昔から嘘が嫌いで、全部本当の事なのだ。これでも少しセ-ブして書いている。
もしも本当の事を全部書いたら誰も信じてくれなくなるからね。

2003.6.8
もう直ぐ海の季節がやって来る。間違っても台風の時、波打ち際に
居てはいけない。自然を甘く見ると酷い目に会う、足首しか海水に浸かっていなかったのに、
一瞬にして波にさらわれたのだ。普通は浜辺に向かって泳ぐのだろうが、その時は
叩きつけられたら確実に死に至るテトラポットと防波堤があった。必死に沖に向かって泳いだ。
大波が又来た、もう駄目だ!ところがそのもの凄い大波は、テトラポットと防波堤を越えて、
僕を浜辺まで又連れ戻してくれた。今でも命拾いにただ感謝!

2003.6.9
私は何事に関しても決して懲りない人間なのだ、海を愛している。
海蛍というプランクトンが大発生した時、夜なのに海で泳いだ事がある。
泳ぎのかなり達者な人でも夜の海は何故か恐い。
海蛍は陸上の蛍と違い、とても小さく摩擦のエネルギ-によって輝く。発生した時は波が
光るので直ぐわかる。海で泳ぐ時、身体と海水がぶつかる為、身体全体が光るのだ。
ディズニ―のアニメで身体が光っている妖精がいるが、それになった様な気がした。

2003.6.10
気が付いたら、何時の間にか青木画廊で個展を遣る事になっている。
今、青木外司氏が推薦文を書いてくれている。
彼は写真はプロの腕前で、雑誌などにも良く取り上げられる。
画廊でやる案内状は勿論、画集の写真も数多く撮っている。文章も又良くする。
僕は青木画廊の落第生なので、何を書かれるのか、今ドキドキしている。

2003.6.11
自然の造作で川の中にツルツルのミズゴケが生えた一枚岩が、
住んでた田舎にあった。滑り台みたいなのだが、小学二年の僕にはそれが恐くて出来ない。
ある時、「ダブルのハコちゃん」と言うあだ名を持った中学生の女の子が誘ってくれ、
抱っこされてその岩を滑った。どうしてそんな事、しかも相手のあだ名まで覚えているのだろう。
物凄い田舎なのに誰かがそれを見ていたらしい。彼女を好きだったらしい程度の悪い、悪ガキに
石を頭にぶつけられてしまった。その傷は今でも残っている。どうも僕は女難の相がある。

2003.6.12
二度目に女の子に抱かれたのは、小学六年で、そこまで成長すれば何となく、
初恋の感情ぐらいは芽生えている。一緒に泳いでいた女の子が、足をとられたらしく僕に
しがみついたのだ、その子が好きだったんだけれどただ茫然と立っていた。
もし僕がもっともっと悪ガキでも立ち尽くす事しか出来なかったと思う。
僕の母親も、彼女の母親もすぐ傍にいたからね。彼女力一杯僕を抱きしめたんだよ。
「これって、本当の話?」 「僕は嘘が嫌いって言ったでしょう」

2003.6.13
映画俳優と言うと、皆直ぐにスタ-を想い浮かべるが、実際はあまり
有名でない人がほとんなのだ。室田日出男と言う僕の母の弟が俳優業だったので、
18歳から25歳くらいにかけて、若く無名の俳優達と、勿論僕の叔父もだが、
遊びの行動を共にさせてもらっていた。彼等は知られていないにしては、驚くほどあちこちに顔がきく。
皆貧乏なので、ホテルなどに泊まれない、どうするかというと、知り合いの庭先を借り、テントを張るのだ。
二十人ちかくが大テントに雑魚寝するのは壮観だった。夕食は市場で安く仕入れてきた魚貝類で
信じられないくらいの美味しい料理を造る、彼等日本中の名物料理を知っていて、驚く事に
それを造る事が出来るのだ。酒がはいってくると隠し芸が始まる。俳優達だから面白いこと!
こんなに上手なのに普段は小さな役しかもらえない。僕が監督なら皆を使ってあげるのに、と思ったものだ。
仲間しか見ていないのに拍手喝さいを受けた時の嬉しそうな顔、彼等心から演じる事が好きなのだ。
僕の叔父が亡くなり、彼等との接点が薄くなってしまったが、其の時の顔、顔、顔が今でも眼に浮ぶ。

2003.6.14
青木外司氏が個展の原稿を書き上げてくれた。案内状にいずれ印刷されるが、
嬉しいのでこのペ−ジに載せたいと思う。日本に幻想絵画を定着させた青木氏の功績は大きい、
青木画廊はその見掛けの小ささにくらべ、実はとてつもなく大きな仕事を成してきた画廊なのだ。

   
薄明の美女出現
                   青木外司

高松氏が初めて訪ねて来たのは1968年頃で約
35年前だった。立教大学で数学を研究していた
長身童顔の好青年に私は、どんな高等数学を勉
強しているのかと質問した。
「均一の厚さで無いゴムボ-ルが空中から平らで
ない地上に落ちた時いろいろの条件で不規則に
跳ね上がる。それを数学的に計算する方法、理
論を研究している」との答えで私は何のことか全
然判らなかった。
爾来彼の個展やグル-プ展を何回も開き、絵を
見、人とも接して来たが最近迄この初対面の折
りの話がいつも気になっていた。
彼の作品は練り絹の様な緻密な柔らかさで、色
彩もウイ-ンの幻想画家エ-リッヒ・ブラウア-を彷
彿とさせる華麗な輝きを放つ。が内容は夕焼け
雲とも水中の植物ともつかぬ人間の胎内の溶液
に浮遊する六道絵のドラマだ。
生と死、美と醜、火と水、違ったものが混然と同
居する。この一貫したテ−マ、画風は今も変わっ
ていない。

近年ファージィという言葉が耳慣れて来ているが
、 不規則な跳ね方をする曖昧なものの集合を考察し
、 それ等を積み重ねて統計学が発展し、現在さらに進
化し不規則な形を数学的に表現するフラクタル
(破片の意)、人間の持つ曖昧な認識をコンピュ-タ-
で処理する技術を指すファ−ジィの理論等、花盛り
である。但し「ぐにゃぐにゃ」したものは現在でも
計算は不能とのことである。

曖昧なことは良い意味で融通無碍、正反対のもの
まで包含してしまう広大な思想でもある。思うに高
松氏はこの難解なフラクタル理論と、実践的筋肉
運動の両方を日々黙々と行っているのではなか
ろうか。

今や都会では忘れ去られた薪割の仕事を30年も
続け、草深い森の奥で屋根に芝生を植えた家に住
み、密室のアトリエで黙々と絵を描くこの幸せな画
家は一種の宗教者でもある。
今回出品される「奇妙な果実」という不思議な作品
は4〜5年かかって完成したものだが、高松作品に
は珍しく「天女」と見紛う美女が海藻の衣をひるが
えし空中を舞っている。
醜を超越したらここ迄美しくなれるのかと私はこの
絵に打たれた。夕焼け空の画面は高松氏が汗して
割った薪の炎が密教の護摩焚きの力となって伝わ
って来る様な気がする。

2003.6.15
僕は時々、傷だらけの江戸時代もあろうかという漆塗りの古いお椀や、
お盆に油絵を描くことがある。その時にとなえる呪文です。

「呪文」
縁が欠けた椀の蓋など、誰も見向きはしない
何時か雑巾の様に捨てられてしまうだろう
偶然手に入れた哀しいほど黙っている物達よ
物にも魂が有るというのが私の立場である
掻き傷やシミを見て、お前達の記憶を読みとってあげよう
今しばらく、その命を持ちこたえがよい
それが少しでも先に延びる様に祈りながら

2003.6.16
若い頃海で氷掻きのアルバイトをしていたことがある。夏も終わりで
人影も疎らになってきていた。ふと前方を見ると若く美しい女性が三人砂浜に座っている。
偶然にもアルバイトの男が三人、どうせ暇なんだから彼女達に氷をご馳走しょうということになった。
彼女達に掛ける言葉は「あそこに見えるおにいさん達が、あなた方に氷をご馳走したいと言っている」
一人目誘う事に失敗、二人目失敗、僕の番になった。僕は彼女達の前に行き、彼等と同じ言葉を言った。
「ただで食べさせてくれるの?」 「勿論!」 ほらね、僕は成功したでしょう、他の連中
硬くなって、にこやかな笑顔を忘れているんだよ。勿論僕達は氷をご馳走する以上のことは
しない。ご馳走して幸せを感じてそれでお別れ。彼女達の内で一番可愛い子が、特別に
僕にニッコリ笑って去っていった事を、ここに念を入れて記しておきたい。

2003.6.17
「幻」
久し振りに立ち寄ってみたわ、言い訳なしのアニマよ。
静かね、でも存在している、そうだ「悪魔の申し子」出ておいで。
申し子:参上。
妖精: ここはどうなったのかしら。
申し子:時間軸を変えて様子を見てくる。
妖精: どうだった?
申し子:始源の海の水をたたえた玉子だったよ。生命の始まりのアメ-バ-の
     アダムとイヴが泳いでいたよ
 妖精:それがどうして空っぽなのよ、あんた悪魔だからわかるでしょう?
申し子:この玉子は小さく見えるけれどね、一つの宇宙さ、宇宙は宇宙だからね、
     大きくても、小さくても、僕には解からない事だらけさ。
     大きいとか小さいとか言うのは人間の感覚、実際は同じものだよ。
妖精:貴方が時間軸を超えている間に私は殻を調べたのよ、
     古代文字が書いてあった、「赤い糸とか、赤い靴」という文字が判読出来たわよ、
     殻は壊れてなかったから、何も生まれなかったみたい。
申し子:それはどうかな?生まれるのは外側とはかぎらないよ、もしかしたら、
     内側に生まれたかもしれないし、時間軸がずれてしまったかもしれないよ。
     殻なんか壊れなくても生まれることは有ると思うよ。
申し子:そっとしておいた方がよさそうだね。
 妖精:そうしましょう、ラララ、、、あら、木霊がきこえるわ!

2003.6.18
全てのものは変化して行く、出来ることなら外からの力ではなく、
その内側からの必然によって変わって行きたいものだ、無理なく、自然に。
人間の意思で物事を成すのがあまり好きではない。だから、良い事、悪い事が起きても
放っておくことにしている。何時の間にか大抵プラス、マイナス、ゼロになっている。
巨大なプラスと巨大なマイナス、によって創られる巨大な?無が、歴史に名を残す人の
人生なのかもしれない。

2003.6.19
僕の入っている句会の女主宰は佐藤裕子、 別名 Hiroko Sato Pijanowskiと言う。
とんでもない才女で、アメリカのミシガン大学の教授を経て今名誉教授になっている。
アメリカと日本を行ったり来たりしている。この前スミソニアン・アメリカ美術館から
インタビュ-をうけたらしい、日本で言えば芸術院会員にあたる扱いを受けている。
有名なジュ-リ-・デザイナ-でもある。
ところが句会では、下ネタを言うことにかけて僕と実力を二分している。
段々エスカレ-トして、今や他のメンバ-からひんしゅくをかっているが、主宰だし、
何といっても狂気の論客の私が付いている。でも会う時は、今に二人ともエロい
アルツハイマ-になったらどうしょう、と心配し合っている。
この前巨漢のアメリカ人のご主人Gene Pijanowskiと我が家にきてくれた。我が家に来た男性は僕と
腕相撲をしなければならない。結果は? それは決まっているよ、僕に勝った人は
未だ一人しかいないんだよ。酒屋さんのビール瓶を何時も運んでいる人だったけれどね。
体は僕より小さいのに、負けた時は信じられなかった。世の中には上には上がいるね。

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