2003.5.19
今日、田中章滋氏の個展に行ってきた、初日に出掛けるのは僕としては珍しい。
沢山の人が来ていた、例によってあまり長居はしないので全部の人は言えないが、
とろけてしまいそうな笑顔の前澤ヨシコさん、美味しい肝臓タケを料理してくれた大竹茂夫さん、
愛の人なのに、何か悲しげな眼をしている谷神健二さん、女の子みたいに優しい顔をした古賀郁さん、
これ以上痩せ様がないくらいの浅野信二さん、冷静で良い男の七戸優さん、御遍路さんのような小野田維さん
伝説の青木外司さん、未だ伝説には一寸早い青木径夫妻、帰宅してから思い返してみると、既に遥か昔の様に懐かしい。
きっと人間は懐かしい生き物なのだ、悪い人なんかに会った事が無い。

2003.5.20
青木外司氏がゾンネンシュタ-ンに会いにいった時、彼は老衰で横たわっていた。
彼は言う「折角日本から来てくれたのに、一枚も見せる絵が無い、私は悲しい、そこで粗末なものだが、
私の一物を見てくれないだろうか?」ゾンネンシュタ-ンは誠実な人だと思う。
青木氏はとても感激して、それを写真に撮らせてもらった。僕にも見せてくれたが、粗末どころか御立派だった。
その写真、焼き増しをしてくれると言ったのに、約束まだ果たしてくれてない。

2003.5.21
僕は実に奇妙な環境で育ったので、普通の人が知り得ない世界を知っている。
日本舞踊、小唄、芸者さん、板前、役者さんの様に、芸で生きている独特な世界の裏表をだ。
彼等は不思議なものの見方をする。共通しているのは、ひたすら今を見据えて、未来のことなど考えていない様に見えることだ。
彼等にだって明日の不安はあるだろうに、、、一瞬の声の張り、一瞬の足の運びに起こる「煌き」がその生に対する
不安を消し去ってくれるみたいだ。こういった人達はやはり天使の種族ではないだろうか。

2003.5.22
僕は回りから、暇な人間に見られていて、良くものを頼まれる。瞑想に忙しい
のを世間の連中は判ってくれない。先日無農薬の食べ物を扱っている「暮しのグル-プ」というのに
頼まれて、フリ-マ-ケットの為の荷物運びをした。売れ残りの荷物を取りに行った時うっかり聞いてしまった。
良く売れましたか?「高松さん、、、。」あきれた様に僕の顔をみる。
そうだ、彼等にとって売上などどうでも良いのだ、アトピ-や喘息で苦しんでいる人達の為にやっているのを忘れてた。
何時の間にか、僕も経済の法則の奴隷になりかかっている、用心用心。

2003.5.23
とても辛いと思う仕事をしなければならない時、唱える呪文がある。
それは、「私には罪があるのだから」という言葉だ。この呪文は絶大な力を発揮する。
辛さは消え、悦びさえ湧いてくる。サルバド-ル・ダリは苦痛など頭のスウイッチ一つ切りかえれば
歓喜に変わると言ったが、その通りだ。

2003.5.24
泉鏡花賞を僕と関りのあった二人の作家がとっている、澁澤龍彦氏と赤江 瀑氏。
こんな夢を見てみよう、二度あることは三度ある。誰か鏡花賞をとりたい作家がいたら、
この僕に挿画を描かせてみよう、僕には不思議な力があるかもしれないから。
そしてもしも三度目が起きたなら、四度目の正直も起こるかもしれない。もしもそんなことが
本当に起きたなら、そりゃあえらい事だ。ところで、泉鏡花の文章は本当にドキドキするくらい美しい。
俳句をやっていて、身動きが出来なくなった時は、彼の本を開けることにしている。

2003.5.25
あまりにも色々の目に会った為に、良い出来事を前にして、歓ばず、悪い出来事を前にして
悲しまず、という境地に達した人がいる。彼等の心は別に干からびてはいない、逆に水々しい。
心を揺り動かす出来事が、彼等の精神の深部に到するまでに、どんな防波堤があるのだろう、
それとも、そんなものはないのだろうか。桜餅を前にして、体重を気にしながらも、それを食べることに
嬉々としている自分を見るに付け、達観にはほど遠いと思わずにはいられない。

2003.5.26
どんなこともそうだが、始めたことを続けるというのは簡単の様で難しい。
普通は続けることに苦痛を感じるだろう、持続力は一つの才能なのだ。絵でも俳句でも、
最初は、良し悪しを無視してがむしゃらに創ったものだが、不思議なことに続けるとその内、やっているものの輪郭が
見えてくるのだ。人間は動物の仲間だ、動物は動かねばならない。小さな子供が何かを始めた時、
それが彼自身や他人に酷い害を与えるものでなければ、温かく見守ってあげよう、何もなすものが無い人生に
やっと、やることを見付けたのだから。

2003.5.27
ニ-チェの様に「全て良し」とは言えないが、世界は多様であればあるほど良い。
単一の純粋な世界などゾ-ッとする、街並みも猥雑なゴチャゴチャしたものが好きだ。
要するに、宇宙の始元、混沌が好きなのだ。ユ-トピアなど、良く見つめるとその頂点に
必ず血に飢えた独裁者がいる。混沌が好きなのは、その中に調和さえ含んでいるからだ。

2003.5.28
どんな立派な本に印刷してあっても、実を言うとそれぞれの発言者が、
好きなことを言っているに過ぎないことがあるのは何時ものことだ、
それが必ずしも正しいとはかぎらない、正しい様に見えることを、印刷の魔術と言う。
創造者である為には、他人の考え方を追認しているだけでは駄目で、自分の中から湧きあがるものが
なければならない、でも、もし湧きあがるものがなければ、それは又それでかまわない、
読者に徹すれば良い、世界には読者も必要なのだから。
珠玉の言葉は、50年以上同じ仕事を続けた人の口から、ポツリと零れ落ちることがある。

2003.5.29
「カラス」

鳥として生まれたからには
その生の途上において
雨にうたれるのは約束されたこと
黒い羽は濡れて深みを増してゆく、私はカラス

昔、貧しい農家の娘が鏡を作る時
硝子の向こうに黒い布を置いたという
雨にあたり、窓辺にうずくまっているのは

私の黒い身体をあなたに見せたいからではなく
むしろ、あなた自身を映し出す為に
こうして震えているのかも知れないのだ

2003.5.30
仲間の俳人が亡くなり、今遺句集の表紙のデザインを担当している。
経験も浅く、あまり得意な分野ではないが、何とかうまくいきそうだ。
この分だと、仲間が亡くなる毎にやらされて、その内大変な量になるかもしれない。
噂によると、物凄い美人の俳人が代りに加入したという、その佳人が互選で、僕の句を選んでくれた。

蝦蟇鳴いて魔の夜に没るか両の耳

僕はこういう種類の句を何時も創っているのだが、
今まで誰も良いと言ってくれた人はいなかった。
やはり、どう言う訳か美人に生まれてきた人は、私と関りを持つ運命らしい。
どうしてなのか、不思議に思う。

2003.5.31
僕は生まれて初めて日記を書いている、こんなに好き勝手な
ことばかり言ってよいのだろうか?罰があたらないのだろうか?
「大丈夫よ、誰もこんなもの読んでいないのだからね」
あ!大天使の声だ、御許しが出た。

2003.6.1
孤独だなあ!

2003.6.2
北海道の奥深い田舎に住んで居た時、待宵草が見渡す限り咲き
夥しい蛍が花や葉にとまり、さらに夜露が月に輝き、蛍と花の区別がまるでつかないという
至福の少年時代があった。その凄まじい光景は今でも僕の脳裏にあり、心の原風景の一つとなっている。

2003.6.3
動物には帰巣本能というものがある、昔住んでいた家の近くを通る度に胸が疼く。
何度も引っ越したから、その数は多い。その内でやはり生まれ育った処は格別だ。
記憶のまま何も変わっていなければ行ってもみたいが、知人は既に無く、街並みの風景も
違っている事だろう、思いでは壊すまい。やはり過ぎてしまえば懐かしくなる「今」を懐かしむのが一番だと思う。

next   top

back