「青い地蔵さん」  高松潤一郎  油彩


2003.4.22
人生は難しい。昔松永伍一さんが僕の絵の世界を「花地獄」と評してくれたが、あたっていると思う。
偶然から始めたこの日記?何処に辿り着くのやら。

2003.4.23
暗闇に咲いて、色褪せたもやしみたいな花にだって、僕には涙がでるほどの愛があるだろう。

2003.4.24
起きている時でも心は今という時に無くて、言ってみれば夢の世界の中にある。
現実に息をしていたら、そもそも僕の絵は出来あがらない。夢の中で目覚めている人生といって良い。
人生が夢であるということは、いやというほど知ってはいるが、それでは一体誰の見ている夢なのかと聞かれると
まるで答えることが出来ないのだ。

2003.4.25
この様に日記を公開するということはきっと、ぎりぎりのところでこの世界と
繋がっていたいからなのだろう、絵だって、小説だって、長い長い遺言書を書いている様なものだ。
小説は知らないが、踊りや、音楽、絵画は神に奉げるものだった、何時の間にか本来の意味を
失い、変質してしまった。 人は淋しかろ、、、何も書かず、何も言わない人の強さの秘密を知りたいと思う。

2003.4.26
今迄の中で、一番色っぽい俳句
月の夜の結界を解きて愛の闇
虎落笛乳房が静かに揺れている

今迄の中で、一番明るい俳句
僕は跳ぶあめんぼすべる青い空
果ても無き昔語や日向ぼこ

今迄の中で、一番神聖な俳句
枯野仏おのずからなる道しるべ
夕焼の肩あたたかき六地蔵

今迄の中で、一番色恐い俳句
遠雷や修羅をも宿す枯山水
出刃を研ぐ厨の裏に花鬼灯

2003.4.27
光苔を身に纏った地底の住人に影は無い、柔らかい光は
他に対して影らしい影は作らない。突然襲ってくる太陽の国の住人を
別に恐れはしないが、彼等の背後にある太陽が、地底の国の住人の半透明な
身体を透して地面に影を作る時、そのあまりな異様さに驚き慌てふためいて
その場に臥してしまう。対抗する為に許される手段はただ一つ、地底の国の住人は
自からの光を太陽の強さにまで高めなければならない。でもそんなことが果たして出来るのだろうか。

2003.4.28
風に吹かれて飛ぶ木の葉になりたいと思う。出来るだけ空にとどまり、
地面に辿り着いたなら、さっぱりと土にかえりたいと思う。
私は一歩踏み出そうとする、絆という無数の糸が私を引き戻す。

2003.4.29
ああ!遊んで暮したいなあ、、、。

2003.4.30
人間というものは多かれ少なかれ皆欠点を持っている、その中で方向音痴という人がいる。
喫茶店で談笑中、ノ-トを買ってくると言って出ていって、それっきり戻らないことがあった。後日訳を聞いたところ、
何と、道に座っていた乞食さんを目印にしたそうな!場所によっては建物の目印さえも当てにならない昨今、すぐに動いてしまう
人間を信頼して目印にしたその友の心に、腹がたつというより、何かとてつもない温かさを感じたことがある。

2003.5.1
多くの人が経験していると思うが、とても難しい問題を考えていて、答えが出ないまま眠りに就き、
翌朝、目覚めた瞬間に答えが解けることがある、頭脳の働きはとても不思議だ。
小さな子供に、歪んだ茶碗と、きちんと成形された茶碗を見せた場合、
例外なく成形された方を選ぶ。それに反し、知識と経験を積んだ大人は歪んだ方をありがたがる。
物というものは、当たり前のことだが、見る人により同じ物でも全て違ってみえる、だから百の見え方を列記しても
それは批評とは言えない、物事の本質を捉えるには眠りから覚めた時の、混線していない静寂した頭脳が必要のように思える。

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