「古代ワルプルギスの夜」  高松潤一郎  油彩

僕は日記というものを書いたことがありません、
今度書いてみましょう、このペ―ジに。楽しいものにはなりませんよ、有名な呪文を一つ、
―我と共に来て、我と共に滅びよ―
増々深くなる闇に乾杯。



2003.4.11
この世に起こる事全てが、すでに昔から知っている事だったと思う、
デジャブ-に似た感覚、追体験にしかすぎない人生。

2003.4.12
子猫を拾った時にその疑問が始まった。一つの生命が生き延びる、それは悪くない
子猫は成長し、食べることもない小鳥を捕まえる。一つの生命の為に、
犠牲になる多くの生命、助けても助けなくとも限りなくその差が零に近ずく無力感。

2003.4.13
1942年.ゴッホ発狂  1723年.平賀源内狂死  1906年.ヴエルレ―ヌ狂死
1952年.ボストンの精神病院の患者ストを行う  1911年.モ―パッサン精神病院に入る  1776年.ドラキュラ伯爵最後の晩餐
1889年.エッフェル塔完成  1889年.エッフェル塔から投身自殺第一号  1727年.新井白石死す
?年.人類最初の殺人事件起こる、犯人はカイン  2003年.未だ誰か死んでいないかと、死神が顔を出す

2003.4.14
ある暑い夏の日に一人の旅人が、とても綺麗な水をたたえた湖を発見した。旅人は湖に入り喉を潤し埃にまみれた身体を洗う。
疲れが取れて、ふと気が付くとその湖はかなり高い崖に周りを囲まれていて、岸に登れる場所が無い。さあ、あなたならどうする?
気に入った女性に会うと何故かこの質問をする。何も答えずにっこり笑って、アイスクリ-ムを食べていた可愛い子を思い出す。

2003.4.15
偶然を必然に代えて、それを積み重ねて人生を織りあげるというのが、私のやり方なのだ。
だから人間関係においてもそれは言える。偶然の女神が祝福してくれなければ、どんな行為も私はとらない。
何故に人間の意思をこれほど毛嫌いしているのか、自分でも良く解からない、人間の意思には邪悪なものが入り込む気がするからか?

2003.4.16
人間は死ぬ瞬間に、自分の生涯を反芻、つまり再体験するという。そうするとこういうことになる。
その短い反芻の人生の終わりにも、死ぬ瞬間があるのだから、さらに短い時間のフラッシュ・バックが起こる。
周りの人達は死をみるだろうが、死ぬ本人は永久に自分の人生を繰り返さねばならないのでは?
一瞬と永遠は同じものだから、この論理は間違いではないと思う。

2003.4.17
江戸時代の天気のことしか書いていない、誰とも知らぬ日記帳を、心休まると言って読んでいる
古い友人がいる、彼は昔僕にマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」を貸してくれた男だ。一体彼に何が起きたというのか?
始めに言葉あり、言葉は神と共にあり、、、うん、もしかしたら神といるのが疲れたのかも知れない。

2003.4.18
どうやら、日記を一日早く書いているらしい、でもそんなこと気にすることは無い、地球の表と裏は
時間が違うのだから。さらに私は自分と他人の区別がきちんと出来ない。人と付合うには一定の距離があった方が良いらしい。
その上過去、現在、未来の区別が苦手で、そもそも自分が生きているのか、死んでいるのかが良く判らない。
可哀相に、私が何故何時も一人で居るのか解かってくれたと思う。

2003.4.19
アダムとイヴが楽園を追われる時、神から呪いをかけられた。「これからは生きる為に汗して働け」と。
日本国民の三大義務は「教育の義務、働く義務、何と!税金を払う義務」。神でさえ一つしか呪いをかけないのに、三つとは!
いかに国家というものが為にならないか、このことだけで良く判る。そこで、もしも一生を遊んで暮したならば、
神や、国家に一矢報いたことにならないだろうか?、、、僕はなると思う。
だから僕は乞食に対して、信仰の様な憧れを持っているのだ。

2003.4.20
真言密教には全てのものが、地,水、火、風、空で出来ているという五輪の教えがある、五大と言っても良い。
四大と言って錬金術の基になった空を抜いたものも有る。空、虚、無、このやっかいな概念は宇宙を説明するには無くてはならない言葉なのだが、
少し乱暴な言い方だが、この神秘の言葉に深入りし過ぎたのが東洋で、切り捨てたのが西洋と言って良いかも知れない。
宇宙の真実(空、虚、無)に東洋が遊んでいる間に現実主義者達は本当に世界を無に出来る技術を完成させてしまった。
さて、今まわりを見渡してみると、(空)に遊んでいる神秘主義者達と遊ばない現実主義者達がいる。
それで?  ただそれだけさ、教訓などないよ。

2003.4.21
我が家には野良猫が時々やって来る、飼い猫が二匹いるので、食べ残しをやることが出来る。
半年ぐらい前から不思議な野良猫が餌をもらいにやって来る。最初から我が家の猫達が縄張りを
主張して毛を逆立てないのだ。人間でも会ったばかりなのにとても気楽に話せる人がいる、猫の世界も
そうらしい。でもやはり遠慮しているのか野良猫は食事が済むと直ぐに何処かへ去って行く。
この猫のおかげで、俳句が一つ出来ている。  食べ終へて野良猫雪に消えゆけり

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「肉の焼ける臭い」  高松潤一郎  部分 油彩