「残り火ビ-ドロ」 1984年 41.0x27.4cm 油彩・キャンバス
(赤江瀑・八雲が殺した)の為の装画
「トマト畑にて」

色っぽさが未だ残っている、年配のご婦人が話してくれた面白い話です。
畑道を散歩していると、熟したトマトがたわわに実っていたので、
働いていた農夫に分けてくれないか頼んだところ、
「そんなものやるから、オラから離れてくれろ。
女房が焼きもち焼きで、ほらあそこで見ているだろう」と言われたそうだ。

唯で貰う訳にはいかないと言って300円渡すと、
「それならもっと持っていきな」と更にくれて、その時もおまじないの様に
「近くに寄っちゃあなんねい、近くに寄っちゃあなんねい」と言われたと、コロコロ笑っていた。

しょっていると思えば、可笑しく感じるが、
もしかしたら、それほど女房に想われているのは少し羨ましいかも知れない。

「竹の秋」

竹の葉は春に入れ替わる。ハラハラ落ちる様を称して、季節は春なのに(竹の秋)と言う。
筍が採れるので、近所によく配る。その中にとても高齢の夫婦がいた。
人間はとても良い人なのだけれど、昔の男性は今の若い人と違い、
かなり家庭内で大きな顔をしていたらしい。
奥方は筍を届ける時、よく僕にこぼしていた。

時が過ぎてご主人が亡くなり、又竹の秋がやってきた。
さぞかし煩い人間が居なくなり、せいせいしているだろうと訪れてみると、それがどうも違う。
もしかして、と思って訊いてみた。

「何だかんだ言いながら、ご主人いないよりか居た方が良かったのですか?」
奥方、寂しそうに頷いていた、、、。
そうか、、人生ってそういうもんなんだ、、、。

「枝垂れ梅」

兄弟のほとんどを先の太平洋戦争で失った男性がいた。
農家では後継ぎが大切なので、長男に生まれた者は徴兵を免除される。
その男性は、自分だけが生き残った事に対して、
そして何よりも自分が戦わなかった事に対して、深い傷を負っていた。
心の悲鳴は、どんなに隠そうとしても何時か表に出てしまう。

重い病に冒されて、肉体の苦痛が頂点に達した時ですら、心の傷の方が大きかった。
「もう、メチャクチャだ!」彼のか細い声を聞いた時、その事が理解出来た。
彼は死ぬ事が出来ない、、。心の傷が癒されないかぎり、死ぬ事が出来ない、、、。

今死のうとしている人に何を言う事が出来よう、、、。
でも言葉は出てきてくれた。ひとりでに、何も考えないのに。

「大丈夫、あなたは戦っている。今立派に戦っている」
握っていた手が緩んでゆくなかで、私は確かに聴いた。
声にはなっていなかったが、彼は確かに「有難う」と言ってくれた、、、。

形見に貰った枝垂れ梅が、毎年福寿草の咲いた直ぐ後に、それは見事に咲き誇る。

「猫じゃらし」

例え猫が嫌いな人でも、仔猫ならきっと撫でてみたくなると思う。
小さな内は、どんな生き物でも大抵可愛い。
手のひらで仔猫を看取ったことがある。
買い物から帰って来た時、か細い声で鳴いていた。
犬にでもやられたのだろうか!酷い手傷を負っていた。

掌に乗せる間も無く、直ぐに死んでしまった。
一瞬驚いた様な顔になり、伸びをして、
そして穏かな顔になり、前足を胎児の様に胸で組んで亡くなった。

庭には「テンちゃん紫陽花」と言う名の植え込みがある。
僕が一番好きだったテンと言う名の猫の墓の上に植えた紫陽花だ。
他に飼ってた猫が3匹埋まっている。
気が向けばジャムの空き壜に猫じゃらしを活けてやったりする。
「今度生まれてくる時は、ちゃんと大きく成長するんだよ」
猫じゃらしが尻尾の様に風に揺れていた。

「楢の木」

30年以上前、私のアトリエは林の中にある小さなプレハブだった。
窓を開けるとすぐ傍に大きな楢の木が生えていた。
木には申し訳ないが、ふと思いたって肌に人面を彫った事がある。
何しろ生命のある木に彫ったのだ。人面は生きているみたいでかなり不気味だった。

そして驚いたことに、これが生きているということなのだろうか!一年毎、目に見える速度で楢の木は、
彫られた傷を塞いでいくのだ!この調子だと直ぐに傷はふさがるぞ!
後世の人、もしも偶然この木から、人面を発見したなら、きっと驚くに違いないと一人で悦に入っていた。

先日、今は物置になっているアトリエの窓を久し振りに開けてみた。
人面が完全に隠れてしまった楢の木が見える。
そうだ、ここで僕は数々の絵を描いていたのだ!

ふと壁を見やると、茶色に焼けたデッサンが、何故か一枚画鋲で貼り付けられている。
今のアトリエに持ち帰ろうと、その時思ったのだけれど、
このボロボロのアトリエを、僕の心は未だ物置と認められないでいる事に気付いた。
だから、あの茶色のデッサンはたった一人で、未だプレハブで頑張っている。

「トリカブト」

世の中には色々な人がいるから、例えば毒が有る事を知っているのに、
美味を追求するあまり、生きていられるギリギリの量のトラフグの白子を食べたりする。

最近少なくなってきたが、庭にはトリカブトが秋になると咲く。
活花にしたり、山野草を描くのが好きな美しい小唄の師匠を知っているので、
一度切花にして持って行った事がある。

「師匠、これは昔アイヌが熊を獲る為に使ったという、恐ろしい毒の植物です。気を付けて下さい。
手に触れたなら、手を良く洗って下さいよ」と念をおした。
「あら、大丈夫なのよ」と言って花を扱った手をペロリと舐めた。

僕は昔から、どういう訳か女性にハラハラさせられる事が多い。なめられているのだろうか?
あまくみられるのは面白くないので、
「師匠、僕を膝枕して、都都逸を唄ってくれるまで死なれたら困ります」
と言おうと思った。
更に「その毒は致死量だと困るので、口に入った毒を半分引き受けさせて下さい」
と言おうと思った。
でも僕は紳士なので、それを口にするのはじっと堪えた。

「毒キノコ」

その美しい小唄の師匠は、若くして亡くなってしまった。
トリカブトでなく、煙草を吸い過ぎて、肺癌であの世に行ってしまった。
最後迄煙草を吸い続け、筋を通した立派な最後だったという話を聞いた。
病の噂を聞いていたので、お見舞いに行こうと思ったけれど、美しい女性というものは、
衰えた容姿を見られるのが死ぬより辛いという事だから、、、、、。

三味線がとても上手く、本当に澄んだ綺麗な声をしていた。
才能ある人程何故か早死にする、、、。
青木画廊のおやじさんは、僕の顔を見る度「お前も35歳くらいであの世に行ってくれたなら、
夭逝の画家になれたものを、惜しかったな」と言う。

僕だってそれほど命を惜しんでなんかいない。
その証拠に素性の判らない茸を試食するのが趣味だ。
無茶をするにも限度があるから、30種類ぐらいある、生命に関わる毒キノコに似たものは食べない。
お腹をこわすくらいの軽い毒キノコが対象だ。
それに万が一を考えて沢山は食べない事にしている。
味と香りを記憶するのだ。

それにしても、画家達は何故か茸が好きだ。大竹茂夫さんや、渡辺隆次さんなど、本まで出版している。
人間は味覚と、嗅覚の記憶に優れている。特に嗅覚の記憶はずば抜けている。
生命に直結した器官だからだろう。

師匠が荼毘に付される時も、お別れに顔を見る事が出来なかった。
故郷に帰らないのも同じ理由からなのだが、
記憶の中には、決して変って欲しくないものが時たまある。
言っても仕方ない事だが、せめて耳元で都都逸が聞けた思い出があったなら、
僕の人生も少しは実り多いものになったろうにと思う、、、、。

「藪カンゾウ」

子供のころから植物が好きで、大抵の植物の名前と薬効を知っている。
食べられる野草は、柔らかい芽吹きの頃に何時も採ってきて春を楽しむ。
美味しさの上位を占めるものに、藪カンゾウがある。御浸しにすると、くせもなく
甘味が有って実に優れた山菜だ。
唯でこんな美味しい物が有るのに、何でわざわざお金を払って、
野菜を買うのだろうと思ってしまうくらいだ。

普段見慣れた植物で、食べられるものはいくらでもある。大待宵草もその一つだ。
ただし小待宵草は不味いから食べない方が良い。
見分け方は、小待宵草は花が萎れる時オレンジ色になるが、大待宵草は黄色のままだ。
勿論その名の通り、花の大きさがまるで異なる。
今、まさに花開くという時に花の蕾を採り、お浸しにして三杯酢で食べる。

待宵草というと、どうしても夢二を思い出す。
彼の描く女性はナヨナヨしていて、何となく怖い。
それで、味の方なんだけれど、「オクラ」を茹でて食べる様なぬめりがあり、
お月さまが口に広がるにつれ、チョッピリ辛くて、
もしかしたら夢二味かも知れない。

「赤のまんま」

「赤のままとか、犬蓼・犬たで」とも言って、粟粒ぐらいの大きさの実がなり、ままごとに使われる。
子供の頃、男の子同士の乱暴な遊びもやったが、ままごと遊びにも良く誘われた。
ままごと好きだったけれど、皆に冷かされたから、多分10歳位で止めたと思う。

ままごとを仕切っている年長の女の子が、ある時何かの葉っぱを家から焼いて持って来て、
僕に食べろと言った。最初ためらっていたのだが、食べてみて驚いた。
香ばしくて子供の口にも美味しく感じられたのだ。

後年、大人になってからも思い出す。あれは一体何の葉だったのだろう?
野原に生えている葉を色々試してみているが、今だにあの味には出会わない。

北海道の山奥にいた頃、兎の足跡を追って冬山に入る事があった。
時々ブル-ベリ-ぐらいの大きさの実が凍って枝に付いていることがあった。
一体何の実だったのか、今もって判らないのだけれど、食べると頭脳に電流が走るのだ!
電流が走る? そう嘘ではないんだよ、電流が走るのだ、、、。
確か糖分は頭脳の麻薬と言われる事があるから、
甘いものの手に入りにくい、山奥の事情によるものだったのだろうか?

それが、なんの植物の実なのか、その頃は幼さ過ぎて、観察する力が無かった。
ブル-ベリ-の干物の凍ったものでないという事だけは言える。
一度味わったもの、嗅いだものを忘れた事は、今までないからね。

偏執狂の様に毒茸を食べたり、野草を食べたりするのは、
私の無意識の中に、どうしても辿り着きたい味と、そして香りが有るからなのかも知れない。

「枯れススキ」

僕はお酒はまるで駄目で、何時だか並みの美しさの女の人に、
「酒の飲めない人を、私は絵描きと認めません」と言われ、
少し悲しい思いをした事がある。
でも、知り合いには、何時も酔っ払っている人が三人もいた。
平賀敬と言う僕の先輩の画家と、無名のタクシ-・ドライバ-と俳優業をしていた、
室田日出男と言う叔父さんだ。

確か歌手で俳優のディン・マ-チンだったかな、何時も酔いどれていた。
日本でもただ一人、酔っ払って演技する事を監督から許されていたのが、僕の叔父さんだった。
彼の葬式の時、誰かが遺体に焼酎をかけた。
信じられない!皆も真似をして、次から次ぎへと注ぎ込む!
僕達参列者は、だぶだぶの酒の入った棺桶を担いでお別れをしたのだ。

無名のタクシ-・ドライバ-はどうなったのか、音沙汰がない。仕事柄まずいんだよね。
平賀敬は酒を十分に飲んだので、目出度く画家として認められた。

秋の枯れススキの風情の中を、秩父の四番札所、高谷山・金昌寺に行った事がある。
夥しい地蔵尊の中に、禁酒地蔵なるものがある。
酒樽の上に座り、手には徳利、笠の代わりに盃を被っている。
どう見ても禁酒地蔵ではなくて、酒を飲む事により悟りを開いた羅漢に見える。

ただ酒を飲むという、一見つまらなくみえることでも、
すじを通して飲み続けた者は、酒飲みの聖者になれるというのが、世の習いというものだ。

「みずひき」

これは道端に生えている、とても目立たない植物だが、
お茶の世界では、とても珍重されている草花なのだ。
茶人にみずひきの事を話すと、皆眼を細めてうっとりとすることだろう。
もしも床の間があるなら、騙されたと思って、口狭の備前の壷に一輪飾ってみると良い。
そこには驚くべき世界が現れる!

ス-っと天に延びる花枝は、宮本武蔵筆枯木鳴鵙図に匹敵する世界を創りだすのだ!
これは一体どういう事なのか?
まったく目立たない草花を、ただ飾る場所を換えただけで、何故これほど変るのだ?

アンドレ・ブルトンの唱えた、意外な場所での出会いの驚きではなく、
置くべき処に完璧に正しく物を収めた時の驚きなのだ。

私は思う。どれほど不完全な人間達であろうとも、
それぞれに合った正しい場所を見つける事が出来たなら、
世界はこれほどまでに、苦痛に満ちていなかったろうにと。

多分不仕合わせとは、
自分の場所を見つける事が出来なかった別名かも知れない。

でも、待てよ、、、もし全ての人が在るべき処に納まり、
パズルが完成したとしたなら、身動きが全く出来なくなる、
恐怖のユ-トピアの出現にならないか?
用心、用心、人生はそんなに単純ではなかったんだよね。
やはり、混沌が一番完成した世界かも。

「半夏生」

植物の名前には実に厄介なものが多く、
地方によって呼び名が異なる事は多々ある。
ハンゲショウとは元々初夏を表す言葉で、梅雨の終わりごろ、
薬草の半夏(鳥柄杓・カラスビシャク)が生えるので、使われていた。
毒草ではあるが吐き気を抑える働きがあるので生薬として用いられる。

本当なら、「半夏生」の名は鳥柄杓が貰うはずであった。
でも丁度その頃、下部の葉は緑なのに、上部の葉だけ白くなる化粧した様な植物が見られ、
先人はその植物に「半化粧」とあだ名を付けた。
読み方が同じである事も相まって、名誉ある「半夏生」の名は
「半化粧」が貰う事になってしまったという次第。

月見草にも似た様な事が起こっている。
本来の月見草は昼間に咲いているので、人々にその名、値せずと嫌われ、
今では待宵草が月見草と思われている。
言葉の世界はこの宿命から逃れる事は出来ない。
今理解出来る言葉は、後世注釈無しでは読むことが出来なくなる。

ところで、我が家のハンゲショウは化粧してくれない。素面のままだ。
何故白くなってくれないのだろう?知っている人がいたなら教えて頂戴ね。

「踊り子草」

バレ-、ダンス、舞踊、この世界でも多くの才能が現れ、そして消えてゆく。
東武東上線の志木という処に住んでいた事がある。
馴染みの理髪店に、とても動作がしなやかな美しい女性が働いていた。

レザ-カットが上手で、その店に行くのが楽しみだったが、
結婚してからは、もっぱら髪は女房がカットしてくれるし、そもそも
志木から引っ越してしまったから、長い事そこには行っていなかった。
先日ふと思い出して、その店の前を車で通ったのだが、既に店は無かった。

その女性の動作がしなやかなのは、昔彼女がバレ-をやっていたからだということが、
店の人の話しから判っていた。彼女は少し足が悪かった。
踊りによって、彼女は何処まで辿り付けたのだろう?

「赤い靴」というバレ-を知っているだろうか?映画にもなった事がある。
その靴を履いた者は靴の呪いで、死ぬまで踊り続けなければならない、という物語だ。
ニジンスキ-にしろ、イサドラ・ダンカンにしろ、僕は破滅するダンサ-が好きだ。
壊れるというのは、美しさの必須なのだ。
赤い靴の紐が切れてしまった踊り子、、、。

ん、、、悲しそうな顔なんかまるで見せなかった。
今になって思うが、破滅するまで踊らなかったけれど、
彼女だって美しかったぞ、、、。

その頃は、幼過ぎて美しさの多様性に気が付かなかった!
考えてみると、毎年甦る美しい踊り子だっているのだ、、、。
今年も春の終わりごろ、おけさ笠を被って踊っているような、
可愛い花が庭に咲いていたのを忘れていた、、、。

「恋歌」

あなたの
後ろに付いて
街中を
歩いている時だって
微かな潮の香りを感じていた

浜辺を歩く時は
例え身体は
波と風に
囚われていても
心で聴く
あなたの
軽やかな足音

何時の日か
この身は
砂の様に崩れ去ってしまうが

あの潮の香りと
微やかな足音だけは
この浜辺に
残ってくれるだろう

砂の上に書いた
ラブレタ-
風と
波が
それを
隠してくれる

「吾木香・ワレモコウ」

吾亦紅とも書く。花に似た萼が宙に散らばっている様な、目立たない植物だ。
これも茶花として、珍重される。
茶人というのは、不思議な種族だと思う。歪んだ茶碗、目立たない草花、
乱れて読みにくい書、とても上手とは思えない画、
逆の発想の中から美を見つけだして、そして奇跡を起す。

この花の名前から、そのいわれを想像すると、何だかいじらしくなる。
濃い赤紫色なのだけれど、吾亦紅「私だって赤なのよ」と訴えているし、
吾も恋う「私だって恋をする」とも取れるし、私だって良い香りがするのに、、、、。

近所に少し哀しげな目をした少女がいた。
何か悲しい事があるのと聞いてみた。
返事は「そうではない、私は明るい」との答え。
時移り、今その少女に翳は微塵もない。

寒い地方にゆくほど、色が鮮やかになるという吾木香。
いつしかそれを少女に重ね合わせていた、、、。

「秋桜・コスモス」

最近は色々なコスモスが花屋の店先に並んでいるが、
やはり昔ながらのピンクと白が一番好きだ。
荒川の支流の一つに、約1kmにわたって土手にコスモスが咲いている処がある。

墨の色は段階的に薄められると、鼠百色と言う言葉もあるくらいで、多くの色彩を感じる。
コスモスにもそれが当てはまり、青空の下、たった二色だけなのに、その二色の間で
無限と言っていいほどの段階が創られている為に、色彩の全てがそこにある様に見える。

コスモス畑の色彩の完全さの中に居ると、我が身の不完全さに思いがよぎる。
何かを遣り忘れてきた、、。私は何かを遣り忘れている。
それが何であるのか、私に与えられた頭脳では理解する事が出来ない、、、。

コスモスに可愛い種が出来た。
弾力を失い枯れてゆくコスモスの指先は、
あくまでも空に向かって両手を広げ、後悔の文字は見えない。
僕はどうすれば良い?
勿論答えてくれる訳がないが
そよ風の中でクスクス笑いと共に、
「だって、私はコスモスなんだもの」という声がする気がした、、、。

「枯葉舞う頃」

今住んでいる林間の家では、植生が落葉樹で成り立っている為、
秋には大量の葉が舞い落ちる。ある一定の温度以下になると、葉は紅葉して、やがて散ってゆく。
自然界では強弱こそあれ、常に風が吹いているから、普通、落葉は穏かに起こる。

ところが此処に来て35年ぐらい経つが、2度ばかり異様な光景を体験している。
葉が落ちる時期が来ているのに、風がそよとも吹かない為、
落ちるべき木の葉が、貯蓄される状態になってしまう事があるのだ。

偶然は重なり、充分に落葉する準備をした木の葉に、ある時風が吹く!
それも普通の風ではない。横殴りの強く、しかも地面から空に吹き上げる類の風なのだ。
実際には無音に近いのだけれど、眼にはゴウゴウと枯葉が移動してゆく感じがする!
空が暗くなるくらいの壮絶な光景だ。

感動には色々な種類が有ると思う。
例えてみれば、魔法使いが崖の上で、空に向かい風よ吹け!と言う。
雲湧き、稲妻来たれ!と言う。
そして本当にその通りになるとする、、、。そういった時に起こる類の感動だった。

天と地の間で辛うじて呼吸をしている者にとって、
自然が時折見せてくれる、こういった現象は、
精神に溜まった、種々の悪いもの、
例えば「懐疑の霧」の様なものをも吹き飛ばしてくれる。
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