2003年10月10日
真夜中に庭に出てみた。月がもうじき後の月(のちのつき)になる。
9月15日の名月の、次の満月を言う。俳句の季語の一つだ。
この寒さは良いぞ!何が良いかと言えば、蜂が寒さの為に飛べなくなるのだ。
蜜蜂なら安全なのだが、今年はスズメバチが庭に小玉西瓜大の巣を造って困っていた。
スズメバチは攻撃的で、人が死ぬこともある。蜂毒には血圧を下げる力があり、
小さなジャムの瓶にお酒を入れ4〜5匹くらい浸け込み、それを盃一杯飲むと薬になる。
スズメバチには刺されたことはないが、地蜂に2度ほど刺されて、病院に駆け込んだことがある。
今宵は我が復讐の時である。
懐中電灯で照らし、巣をチョコンと突付く。ほら、ワヤワヤと出てきた。
やはり、思った通りあまり活発ではない。落ち着いてピンセットで摘み、
予め用意したウイスキ-に放り込む。200匹はいたろうか、下手をしたら
僕の身が危ない、凄い緊張感だった。
懐中電灯目掛けてもっと攻撃して来るかなと思っていたが、二、三匹だけで、
それも寒さの為直ぐに地面に落ちてしまった。
200匹のスズメ蜂のウイスキ-浸け!我が復讐は成った!
報告もしたことだし、私はこれから眠りにつく。

2003年10月11日
満月から一夜ごとに欠け始めてゆく月を、降り月(くだりつき)、下弦の月とも言う。
日本語は厳密さにかけるが、実に感性に訴える部分では細やかだ。月だけでも大変な数の言葉がある。
俳句を始めてから、日本語の美しさを改めて見直している。
これからは月が欠けてゆく毎に寒くなる。もう薪割りを始めている。
今年は夥しい量の楢の木を貰った。多分二年分以上あるだろう。
薪は自家用の分しか作らないが、売って商売になるくらいある。なにしろ貰った全体量が今の処見えてこない。
昔なら大変な価値があったろうに、今は貰ってあげると、とても感謝される。
森林浴で木の種類毎に、色々な芳香物質フィトンチッドが発散されていることは
良く知られているが、森に入って木を傷つけると何かが流れ出して、その森全体が緊張するのを知っているだろうか?
音楽を聞かせたら実が良く実のったり、電流を流したら椎茸が良く発芽したり、植物は謎の部分がある。
こんなに沢山の木を燃やして、どうか祟りがありません様に。

2003年10月12日
月が出ようとする頃のほんのりした明るさを月代(つきしろ)と言う。
ぼんやりしているものは心を和ませる。反対にはっきりしているものは?
話が飛躍するが、太平洋戦争の特攻隊員は突撃の前に覚せい剤を使用したという。
それを聞いた時耳を疑った、死の不安を消してくれるのは、阿片ではないの?
でも実際に特攻隊にいた人が言う言葉だ。
覚醒した人間は死の恐怖に打ち勝つのか、、、、。もしかしたら、美しいと感じる心は
半分寝ている人にのみやって来るのかもしれない。美しいものを感じられたら、
死ぬ気になんかなれないと思うよ。覚醒すべきか?半分眠っているのがよいか?
僕がどちらを選ぶか、皆わかるよね。

2003年10月13日
月と言う文字は出てこないが、宵闇は名月が過ぎ、秋の深まりを
夕暮れの闇に見ることを言う。この言葉は僕のつたない文章で汚すのはやめよう。

おもちゃをもらってそれをながめ
抱きしめ、やがてこわしてしまい
あすはもう
それをくれた人を忘れる子供のように
あなたは
私のあげた私の心を
きれいなおもちゃのように
小さい手の中でもてあそび
私の心が悩み
けいれんするのを目にとめない

−ヘッセ−

世の中にこれ以上の恋文があるだろうか、何度読んでも溜息がでる。
死ぬまでにこんな手紙を書いてみたい。

2003年10月14日
十五夜、つまり名月が雨のために見られない、ただそれだけを言う為に、
雨月(うげつ)という言葉がある。普通の月が雨で見えなくとも、雨月とは言わない。
三日月は有名だが、勿論二日月と言うのもある。
多分あと何年か後には、一年365日全部の月の呼び方が完成するかも知れない。
さて雨月である。これほど愛されている月の、最も晴れ舞台、名月、十五夜の月が雨で見る事が出来ない!
修学旅行にあの娘が病気で来れない!何の為に三年間積み立てしたんだ?
誰に当り散らしてもいけない。俳人たる者、静かな心で雨雲の上の名月を思いやる。
これが雨月の心なり。

2003年10月15日
鳥は生まれて初めて見た動くものを、親と思うらしい。
人間だって盲目に生まれないかぎり、見える時はやってくる。
幸いなことに、(何故幸いと言う言葉を無意識に僕は使ったのだろう?)今僕たちは、
零歳の時に初めて観たものを思い出す事は出来ない。
言葉は神と共に最初からあったのだから、まだ言葉の持たない赤ん坊は神々以前かも知れない。
この世に生を受けた赤ん坊が初めて見たものは、一体何だったのだろう。
この場合自分の手、何て答える人はいけない人ですよ。
月だったかも知れない。そう、それが正しい答えなのです。そうでなければ、ある日ふと空を見上げて、
あの青白い光にこれほど懐かしさを感じる訳がないではありませんか。

秋月夜ジェルソミ-ナの道をゆく。

2003年10月16日
旅人が一本の枝を切って葉を全部落とし杖を作った。
山道が終わり、用の済んだその杖は地面に突き刺して捨てられた。
しばらくすると、その杖から芽が吹き出てきた。榊(逆木)は上下逆さに地面に挿しても芽が吹き出す
生命力に溢れた植物だ。故に神聖視され、玉串として神道の儀式に使用される。
神話というものは実に不思議な言い伝えで出来ている。
伊邪那岐神は顔を洗い、左目から天照大御神、右目から月読命(ツクヨミのミコト)が
生まれたという。月読命も、天照大御神も女神だ。古代日本では女性は偉かった。
月読命は月を読む事から占いの神でもある
合理的でないものは、何時だって闇の世界が引き受ける。
現代は、合理の世界が闇の世界を駆逐してしまっている。
合理的な世界は、役には立つけれど詰まらない。非合理の霧の中の方が心休まる。
月の存在はその合理の世界を、一瞬にして打ち壊してくれる力を持っている。

2003年10月17日
今は月が出るのがとても遅く、しかも曇っていて空を見ても楽しみがない。
でも心配する事はない、月はちゃんと空にある。
寝て待つくらい出るのが遅いので、臥待月(ふしまちづき)とか寝待月(ねまちづき)と呼ばれる。
心を休めてくれる月は、太陽の様に激しく燃えてはいないが、
とても静かな炎と言っても良いかもしれない。
今宵、寒く感じられるので、薪スト-ヴに火を入れた。
炎は人の心を癒すことを知っているだろうか?
炎は生命の様に新陳代謝をするし、子孫を増やしてゆく。
心を癒すものを一寸考えてみよう。海、、、いいね。大地、風、、何だ、炎を入れると四大ではないか!

月では蒼く燃えよサラマンドラ

2003年10月18日
青木画廊で「復活」のタイトルの展覧会を見た。
本当は二十日に行ってきたのだけれど、今日書く事にする。日時は私にとっては意味を成さないから。
芸術という言葉に、拒絶反応に近い、くすぐったさを感じる人が多いが、
それは現代作家が「術」を忘れてしまっているからだ。むしろ捨て去ったと言って良いかも知れない。
魔術の「術」をまさに僕達の前に披露してくれる画家がいた。市川伸彦氏だ。
辿り着くのが不可能に見える処迄、行く事が出来た場合、それは「術」と言うに値する。
私はそういった人間を心の底から尊敬する。凄まじい技だ。
どんなに芸術に疎い人でも、彼の絵を捨てる事は出来まい。
もう少しすると、月も冷まじ(すさまじ)くなるだろう。
冴え渡った冬の月を見た気がした。美しいものには身震いする。

2003年10月19日
竹久夢二の「宵待ち草」 待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のやるせなさ 今宵も月が出ぬそうな
これに、西条八十が付けた二番の歌詞があるのを知っているだろうか?
暮れて川原に星ひとつ 宵待ち草の花が散る 更けては風も泣くそうな
さて星月夜とは満天の星の光が、月夜の様に明るいことをいう。月があってはいけない。
月の光は月影をつくるが、星月夜の明りは影をつくらない。ありとあらゆる方向から光がくるからね。
影をつくらない光!そんな光は天使の光だね。

木の葉の妖精登場!今宵は何が言いたいの?

何だかカウンタ-が10000になるんだよね、皆何かをプレゼントしているみたいだからね、
あたちも何かやらなければいけないかも。10000の方、もしかして美人であります様に。

10000のカウンタ-をとった人、上記のアドレスにメ-ル下さいね。

2003年10月20日
良く言われることだけれど、白鳥はあの優雅な姿の水面の下で、
氷の様に冷たい水に耐えている足があると、、、。
何故か外側に対して内側、表に対して裏と、見えない部分の方が重要に感じる事がある。
カソリックの総本山、バチカンでも愛とか光等の様な表の部分以外に、魔術も研究しているのを
知っているだろうか?裏と表は常に一体で、実は両方とも必要なのだ。
太陽の名を表に、月の名を裏にした贅沢な名の貝がある。
片側が朱色、もう片方が薄黄色の月日貝だ。
名付けた人はきっと、神にも隠された罪の貯蔵庫が有る事を、良く知っていたに違いない。
影を決して切り捨ててはいけないと思う。

2003年10月21日
誰が言ったのか忘れたが「ゴンドラ、あの唯一の棺桶に似た乗物」という言葉がある。
原始的な遠近法「婉曲遠近法」が好きなので、角「つの」の形は多用する。だから勿論ゴンドラ舟はとても好きだ。
日本でも「月の舟」と言って、細い月を舟に見立てる言葉がある。
佐渡島ではたらい桶の舟がある。桶は御存知の様に、昔棺桶だった。古今東西何故か舟は
棺桶と仲が良い。あの世に行く時に川を渡るのは本当かもしれないね。
赤い月を見たことがあるが、気味が悪かった。でも舟に似た細い月は美しい!何時か僕の魂を運んでね。
ところで、10000のカウントをゲットした人、名乗りをあげない。美しい人と書いたのがいけなかったかな?
通りすがりの人だったんだろうか、僕のプレゼント素敵なのにね。

2003年10月22日
朧月というのは春の季語で、温暖の気に万物がもうろうとかすんでみえることを言い、
薄月は秋の季語で、秋の霞に月がぼんやり見える事を言う。このはっきり見えない春秋の月を
両者とも霞で見えない、なんて十羽一絡げに言ってはいけないよ。
言い方は色々あった方が楽しい。「温暖の気に万物がもうろう」というこの曖昧な表現!
ほら、向こうから素敵な美人がやってくる、なんて声を掛ける?
「あなたのフェロモンに僕のフェロモンが反応した」  バシッ、、、、ぶたれた音ね。
「ぬしと僕のえにしは赤い糸で結ばれていると思わない?」  ドッシッ、、、押されて尻餅をついたのね。
ほら、音が違うでしょう?

2003年10月23日
こんな為にならない事に時間をとられて、30年後の私は月を見ながら石の上に座り、
やることがないので鼻を穿っている。春は花粉症、夏は蚊に攻められ、秋には蜂にさされ、
冬はあなた凍死しかかった。なにしろ流浪の身、でもあまく見ないでね。
ほら向こうから恐ろしいくらいの美人がやって来る。
「お嬢さん近こう寄りなされ」  「何かしら?」
「私は実を言うと天使なのです」 「、、、、、」
「あの凍るような月の光に照らされた、私の完成された横顔を見れば、疑いの心は起こらないでありましょう」
「月見団子を私に供えれば、もしかしたらあなたの人生は、より実り多いものとなるかもしれませんよ」
「お団子は醤油のついたものより、あんこが沢山ついてる方が粋だと思われます」
今朝から多くの美しい女性に同じ事を言っている。今初めて立ち止まってくれた女性がいた。
供えてくれたお団子涙が出る程美味しい!
「お嬢さん、あなたは私に今夜お団子を供えることが、前世から定められていたのです。
それが成し遂げられて実に目出度いことです。おめでとうございます」
私達は深々とお辞儀をして、それぞれの人生を又歩き始めた。
月は煌々と、去ってゆく彼女の頭上で輝いている。

2003年10月24日
現実でない異空間がオ-ラ-の様に私のまわりにある。
私と話始めて2分も経たない内に、あなたはきっと自分の持っている夢の世界の、
最も深い部分に入っている事に気付くだろう。何故その様な事が起こるのか私には解らない。
考えてみると、人は皆固有のオ-ラ-を発しているのかもしれない。波長が合えば話は弾む。
もしかすると、私の存在理由は「夢の修正人」という処にあるのかも知れない。悪夢を修正するのだ。

月を指差すと、愚か者は月ではなく指を見る。「アメリ」という小説に出てくる文章だ。
指しか見ることが出来ず、「自分は愚か者だ」と傷ついた人に私は囁く。
「でもどうして彼女の美しい指に見とれ、その先の月を見ないからといって、愚か者にされるのだろう?」とね。
全ての事に問い掛けをして、出さなくて良い答えまでだし、その結果あらゆる事が
相対化され、意味を失ってしまう。
その問い掛けする者を、何と呼ぶのかあなたは知っているだろうか?

2003年10月25日
遠い記憶なので、正しいかどうかわからないが、子供の頃に遣り残した事が一つある。
北海道小樽の港で遊んでいる時に、巨大な海月を発見した。笠の直径が20cm〜30cmの海月は珍しくはないが、
1mもあるものを信じられるだろうか?それを見た時猛烈にその笠の中心にダイビングしたいと思った。
海月には迷惑かもしれないが、その透明なゼラチン質の中を潜り抜けたいと思ったのだ。
今、「月」をきっかけとして文章を書いているので、海月を思い出したのだが、
普段でも、何かを潜り抜けたいという欲求は、人間の潜在意識の中に、皆持っている様な気がする。
自由になる為に、異なる世界に行く為に、、、。
但し創造の世界では、自由は必ずしも創造のエネルギ-にはならない。
家屋の設計士はどういう訳か、制約のある土地に建物を建てることに、情熱を持っている。
不自由な地形が想像力を掻き立てるらしい。
子供の頃、海月の笠にダイビングしていたなら、何から自由になれたのだろう?
確かめたいが、もうあんな大きな海月には会えないと思う。


2003年10月26日
未だそれほど寒くないので、散歩の途中茶房のテラスで紅茶を飲んでいた。
夕方だというのに濃いサングラスを掛け、買い物袋を沢山持った女性が斜め前に座り、
コ-ヒ-を注文した。何となく不吉な予感がして、なるべく見ない様にしていたが、何しろ斜め前だ。
眼をつぶらないかぎり見えてしまう。鍔広の帽子、サングラス、夕方、、、顔がわからないが多分美人。
「カップを持つ時は、レ-スの手袋はとった方が良いのに、ほら洋服にこぼしてしまった」
「わ!何だ、立ち上がって僕の方に来る!」
「あなたは何で私の顔をジロジロみるのです、気になってコ-ヒ-をこぼしたではありませんか、どうしてくれます!」
「しまった!猫は出会った時なるべく相手の目を見ない様にするのを忘れてた。だからサングラスは困る」
「でも僕が見ていたことを知っているのは、あなたも僕を見ていたからではありませんか?」 「もしかして、お互い様では?」
「ああ!くちごたえなどして、腹が立つこと。あなた罰として私の荷物を持って頂戴」
「お嬢さん、僕には愛する妻と子がいるのです」 「それは良かったわね」
1,荷物を持ってやる。       2, そんな事知るかと言う。
1を選んだ人は次の日記を読んで下さい。 あ!忘れてました、月が上弦の月になってきました。上り月(のぼり月)ですね。

2003年10月27日
荷物はかなり重い、まあ今日はこういった運命だったのだ。
「お嬢さん、僕が子供の頃近所の人から聞かされ、頭から離れない唄があります。次の様なものです」
チョ-ロンケ パッチンコ 裏の竹薮探せ 爺さん来たやら 婆さんきたやら
「こんな唄聞いたことありますか?」 「先日やっと意味が解ったのですよ。
チョ-ロンケは(チウラングル)、アイヌの言葉で急流の石の間にいる妖怪の事。
パッチンコは(パウチん娘)、やはりアイヌ語で「淫魔、淫乱の神とう意味。 普段は異界のシュシュラ
ンペツという川のほとりに住み、男女入り乱れて裸で踊っている」当然月夜にでしょうね。
どうです、驚きましたか?謎が解けて本当に良かった!つまりあの謎の唄は
爺さんと婆さんと淫乱の神と妖怪が、シュシュランペツという川でかくれんぼしている唄だったのです。
長生きはするものですね。お家はまだ遠いのでしょうか?

2003年10月28日
僕はね、太陽とかお月様を崇めない人は信じないことにしているんですよ。
昔の話ですけれど、北方民族なのにバイキングは月や太陽を神聖なものとしなかったんです。
彼らは海賊だったから、明るくなるものは、仕事の邪魔になったのかも知れない。
何故か狩猟民族は変なものを神として崇めていますね。例えば(ワタリガラス)とか。

「さあ、家に着いたわよ、お茶でも飲んでゆきなさい」  「お嬢さん、あなたは一人住まいなんですか?」
「そうよ、子供が居る様に見えた?それとも私が危険だとでも言うのかしらね、それともあなたが危険なの?」
「いえ、僕はとても安全な人間です」  「では、問題ないわけよ、お入りなさい」
1,素直に入る。  2,危険なので入らない。 1,を選んだ人は先に進む。

2003年10月29日
袋を「ワタリガラス」が突いた時、二つの光る玉が出てきた。一つが太陽で、
もう片方が月だった、、、。いくら神話でも酷すぎると思いませんか?

「この建物はまだ新しいですね、エレベ-タ-に乗るんですか、
僕これ嫌いなんです。ケ-ブルが切れたらと思うとね」
「高い処から落ちて死ぬのは楽な最後ですよ、私は12階に住んでいるのです」

「紅茶はどんなものがよいかしら?」
「香りの淡い葉に林檎一個を細かくスライスしたものを弱火で煮立て、
蜂蜜で甘味を整えたものが好きです」
「あなたは、紅茶の飲み方の趣味がよろしいわ、気に入ったわ。そうだ私とレスリングしませんか?
変な意味にとらないでね、本物の格闘技ですよ」
「何ですって!女性とレスリングするのですか!」
1,レスリングする。   2,とんでもない。そんな事しない。
1,を選んだ人は次へ。

2003年10月30日
「最初身を守る為に始めたのです。私はとても強いのですよ。遠慮はいりません」
「いくら強いと言っても、僕は柔道をやっていたんだから、
相手になりませんよ」しかし彼女は平然としている。
本当に女性と格闘技をやっても良いのだろうか?
戯れに組んだ瞬間、何だ!この素早い動きは!
彼女は「くの一」か?一瞬の内に投げ飛ばされていた!
どうして何時もこんな目に会うのだろう!」これはきっと夢に違いない!
三度目に投げ飛ばされた時そう思った。
本気を出したくても、相手が女では力が出ないよ。
1,降参しなさい。  2,降参してはいけませんよ。
1,を思ってくれた優しい人は次へ。

2003年10月31日
心に余裕の無い人、もしかしたら、死刑囚の様な人にも安らぎを与える不思議な月。
私が今書いている事が実際に起こったかどうかは、実はそれほど重要ではない。
いや、そんな事はない。
目が合った為に、今投げ飛ばされている。でもこれは特別な事だろうか?
特別な事だと思う。
駅のホ-ムなどで、顔を見たといって殴られている人が時々いるではないか。
そりゃあ、いるけれど、、、、。
私が以前受身を習ったのは、今夜の為だったかも知れないのだ。
それは違うと思う。
彼女は実に楽しそうに投げ技を私に掛けている。
彼女には問題がありそうですよ。
反射神経が昔のままなら、もっと耐えてあげられるのだけれど、もう限界。
年寄りの冷や水ですね。
実は投げ飛ばされる時に月を見ていた。涼しげな顔で月も又私を見ていた。
全てをそのまま受け入れてくれるものを、いつだって私は愛する。嘘だけど。

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