その時がきた、と
わたしたちの心がひとつになったと思ったら
ムーンストーンとオパール
それから月の光に導かれて
どうぞわたしのところへ来てください
この美しい夜、長い夜に

これは
僕の大好きな
ホ-ムペ-ジ「鉱物たち
の庭」のギャラリ−126番
に載っている、明るい満月の夜、
自分の守護天使に出会うため
に唱える、呼び出し
の歌である。

「鉱物たちの庭」


2003.7.29
今旅の途中だ、運転しているというのに睡魔が襲ってくる。目を覚まさせる為に
自分の頬を平手で打つ。痛いじゃないの。サド・マゾの人達、こんなのが良いのかい?。
一寸想像してみよう。「お嬢さん、乱暴しないでね、僕は魔術師なんだからね」
 「女王様とお呼び」 「そんな!僕は魔術師なんだよ!」 「それがどうした、私の椅子になれ」
「待って!話せば判る、良く話し合おうね」 「こういうことは話しても判らないの、バシ」
ワ!危ない、こんなこと想像していたら事故が起きる。
こんな時には路肩に停めて一眠り。

2003.7.30
小旅行の先で池田忠利さんに会った。海岸に打ち寄せられる漂流物で
ユ-モラスなのだがドキリとさせる作品を創る人だ。心の優しい素敵な
奥方も一緒だった。楽しく長時間話す事が出来た。彼は僕の個展のパンフレットを
幾つもデザインしている。そして驚いた事に、忠利さんの兄上、天下の池田龍雄さんが
僕のパンフレットを昔、手掛けてくれたらしい!知らない事ってあるものだ!
思い起こしてみると、僕が在学中にやった兜屋画廊の初個展のパンフレット
平賀敬さんが印刷してくれたんだった。多くの人に世話になっている。
世間は狭い、皆が何処かで繋がっている、悪い事なんて出来ませんよ。

2003.7.31
「質問があります」 「何でしょう?」  「あなたにとって悪い事とは?」
「美しい女性を見て、あなたはブスだと言うことです」 「他には?」
「他にはとりたてて言うことありませんよ」 「もっとあるでしょう、考えて下さい」
「あなた、今更このぼんやりした頭で何を考えることが出きるでしょう、あ!そうだ
ありますよ、もう一つ。デ-トの約束の時間には決して遅れてはいけませんよ。
食事は割り勘はいけません、必ず支払ってあげましょうね」

2003.8.1

「時には」

マイナス273度の理想気体の中に
右子と左雄、そしてお邪魔虫が閉じ込められている
零に収束する前に一瞬地平に見えた機械に繋がれた脳幹
零の零乗が1になる可笑しさ悲しさ
言わなければならない、そして不思議さ
虚の空のエ-テルはアルコ-ルには置換出来ないよ
燃えるものには情けの放火
パチパチ燃えて、キリキリ舞って最後の呪文
ほら、空間は消えてゆく
ほら、物質は存在しない
だから、時間などあろうはずがない

2003.8.2
「とても疑問に思っていることがあります」 「何だって御答えしますよ」
「あなたは女性にもてるのですか?もてないのですか?」
「なんだ!そんなことですか。先日95歳のとても素敵なお婆さんに惚れられたみたいですよ」
「お婆さんですか!」
「女性というものは一生の間に、最低一度は綺麗な時期があるというのは本当のことです。
そのお婆さんは50年以上も八百屋さんをしていたんです。嫌がりながらやったら駄目なんですが、
真心込めて八百屋やったんですね、その時間が彼女を磨き上げたのでしょう。
とても魅力的なんです。そんなに沢山話さなかったんですよ、でも見つめあう目の中に、
二人の年齢がもっと近かったなら、もしも過去のある時に運命の女神が微笑んでくれたなら、
とても楽しいものになったでしょう、という言葉が見えましたよ。
いいですか、若い人が好き合うのは別に何でもないことです、高齢のお婆さんに
惚れられるのは大変なことだと思いませんか?」

2003.8.3
寝室の北の雨戸は何時も閉め切りにしてある。その為か、何故か時々
野生の蜜蜂が巣を造る。もう慣れたが朝の暗いうちから、かなりうるさい。
放っておくと家が痛んでしまうらしいが、怖いのでそのままにしている。
神経質な大人しい蜂で、何らかの理由で、蜜を置いたまま逃げ出す事がある。
例えば大きな音や、天敵の蛾に襲われると逃げ出す。
ところが西洋蜜蜂はスズメバチに全滅させられるが、日本古来の蜜蜂は
スズメバチを取り囲み、自分の身体から高熱を発して彼等を殺してしまう。
日本蜜蜂が逃げ出すと、静かになり直ぐそれとわかるから、其の時は巣を掻き出す。
清潔なナイロン・ストッキングを利用して、
蜂蜜を濾すと大壜に六本ぐらい採れる。
とても美味しい蜂蜜だ。この蜂蜜は買うと大変な値段らしい。

2003.8.4

諦めた!
ん?どう諦めた?

諦めきれぬと、諦めた。

2003.8.5
子狸が雨に打たれている。親狸が心配そうにそれを眺めている。
でも大丈夫、きっと明日は晴れ!

2003.8.6
今日濃縮還元ヲトメを見てきた。エレベ-タ-を出た途端立島夕子さんがいた。
僕は文章では凄い事書くけれど、気が弱いんだよ。入り口で精神の統一が未だ出来ていないではないの。
わ!作品達濃縮されている。心を落ち着なければ僕の精神から還元する為の水分が奪われる!
会場の壁が今日も真っ黒だ、ここは何時も黒いのだろうか?
床に生首が二個転がっている。小さな棺桶に赤ん坊?の人形が入っている。
でも良く見ると恐くはないぞ、これは昔お祭りの時確かに経験したものだ。むしろ懐かしい。
これらの作品は映像というより、記号だ!悲しいとか、苦しいとか、恐いとか、、、。
彼女は絵で文章を書いている。ホ-ム・ペ-ジを開くと文字がとてつもなく大きな
ものがある。つまり彼女は文字を映像化している。
待てよ!、もしかしたら彼女は精神に肉体の仕事をさせ、肉体に精神の仕事をさせているのか?
本来対立しているものを、彼女の中の必然がそれぞれを入れ換えてしまっている。
常にすれ違う魂、会場を後にして駅に向かう途中、そんな言葉が去来した。

2003.8.7
今、ある処から僕の絵も救出させるプロジェクトが発動され、
十枚の絵の内二枚が無傷で生還した。僕の娘達!待っていて、今に全員助けるからね!

2003.8.8
日本の生んだ偉大な幻想画家の一人横尾龍彦氏は、以前僕に語ったことがある。
「僕は恋をしていなければ、絵が描けない」と。多くの女性遍歴を重ね、さすがの彼もある時
ふと、自分が嫌になったらしい。禅寺に篭りついに悟った、もう二度と間違いは犯すまい。
意気揚揚と山を降り新宿駅を降りた。そして程なく(ポン引き)に引っかかった。
決して懲りない人間!偉大な人間はこう在るべきだと思う。
反省に反省を重ねて、段々縮んでいくべきではない。遣りたい事をやり遂げるには
物凄いエネルギ-が必要だ。愛はそのエネルギ-を導き出してくれる。
くれぐれも、決して真似をしません様に。

2003.8.9
あなたと良く似た感じの絵を私は集めている。
小さな絵で良ければ、この絵と交換しませんか?私が未だ23歳ぐらいの時
そう言って一枚の小さな絵を持って来た人がいた。童が笛を吹いている絵柄だった。
その絵は、後年人に乞われて手離してしまったが、それが大島哲以さんとの
最初の出会いだった。それから15年後「幻視の森」を始め数多くの
グル-プ展を遣る様になるとは、その時は未だ知らない。
会うべくして人は会っているとしか、言い様がない。
人の出会いは本当に不思議だ、何時も思うが
それはまるで、誰かが用意してくれているみたいだ。
大島哲以さん、もう亡くなってしまったが、
心の底から懐かしい。

2003.8.10
両親が雲助家業、つまりタクシ-会社をやっている時
取りに来ない忘れ物を、僕は時々貰っていた。例えばバイオリンとか。
高価そうな物なのに、何故か取りに来ない。
そんな中に、10枚ほどの素敵な水彩画があった。サインは入っていない。
何故か絵に詳しい人に見せると興奮する。小山田二郎だと喚く人もいる。
彼は余りサインをしなかったらしい。絵柄は好きなんだけれど、それを売り払って
エルンスト・フックスの版画を買った。今でもその判断が正しかったかどうか疑問に思っている。
正しかったか?の意味は、忘れ物を売り払ったのは悪、
という倫理の意ではありませんよ。
僕は別名悪魔の申し子ですからね。

2003.8.11
吹雪の夜に家を出ることは、死を意味していた。
学校迄4km、隣りの家迄1km。
目印の無い白い原は吹雪くと方向が定まらない。
もしもその時代、僕が40歳くらいなら

 「足早に過ぎしは女雪しまく」

などと雪女の俳句を創っていたろうが、その時は未だ小学3年。
うっかりと金属に触れ、指に氷付かせ泣いていた時代だった。
何も無い、今の様に本すら碌に無いのだ。長い夜御伽噺を自分で考えるしかなかった。
「何故夏なのにこんな話をするのです?」
「もう少し若ければ、今頃海にいるでしょう。
長く暑い夜、
御伽噺を自分で考えているのです」

2003.8.12
今日は上野霄里(うえのしょうり)という人の言葉を紹介します。
芸術家は、歴史を、現実的な生活を、そっくりそのまま神話に化す能力によって、その存在位置が確認
されなくてはならない。もっとも平均的なものを、一つの伝説まで昇華させることによって、その存在意義が
問われなければならない。日々の現実生活が神話そのものとして生きられる時、はじめてその人物は、
芸術家と呼ばれるに価するのである。
人々が右往左往しながら、さも重大問題であるかのように扱い、騒ぎひしめき合い、口論し闘っている
問題を、さりげない風流譚のように、傍らにおしやってしまう能力がなくてはならない。問題の解決とは、
問題と同じ次元で闘うことではない。高い次元に立って問題を伝説と神話の壁に塗りこめてしまうこと
である。文明の担い手達は、神話と伝説の歴史化をめざす。人間回復をめざす人間は、現実生活
の神話化、伝説化を行う。
今晩は幻のKさん、今だ古風に、不可抗力な運命の命ずるままに引きずられる
芸術家精神を保持しています。
混沌を愛しています、破滅の美学を信じています、世界が多様でありますように、信じられないくらい無用に
見える人でも、存在する深い理由がきっとあることを信じています。
ところで、1m離れていた距離が98cmになった夢を見ました、ん?

幻のKより
 考古学の祖にしてネオ・クラシシズムの火付け役といわれるJ.J.ヴィンケルマンは、
自らの名で出した著書に対する反論を偽名を騙って出版し、さらにそれに対する再反論を、
再び自分自身の名で出版したそうです。また、イタリアの美術史家で、
作者特定のための方法の模索に努めたジョヴァンニ・モレッリは、著者名をイワン・レルモリエフ、
独語訳者名をヨハネス・シュヴァルツェとした論文を、学術雑誌に掲載しました。
(レルモリエフは<モレッリ>のアナグラム、シュヴァルツェはモレッリ――伊語は分からないが、
黒もしくは喪服という意味だろうか――の独訳だそうです。)
様々な名において発せられポリフォニーを奏でる声は、おそらくいずれもが高松さんのドッペルゲンガーであり、
しかしながら決して同一性のもとに還元できてしまうものではない。
かかる声・語りもまた、作品のひとつかもしれません。そして作品は
――必ずしもそれが言語によるものである必要はないでしょうが――他者に向かって発せられた瞬間、
それが神話化されるのを免れえないように思われます。
芸術家に(この言葉が不正確であるとするならば、作品の作者に)なれない人間がなし得ることは、
「作品の隠喩を圧縮(還元)することではなく、それらを続けることだけ」なのかもしれませんね、
西方のダンディなゲイが言ったように。
「ここにあるいっさいは、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである」

スラバヤジョニーというのは、『怖がらないで(Fuerchtet euch nicht)』という歌劇の中で歌われる歌です。

はじめて会ったのは/まだ16の時
あんたはビルマから/帰ったばかり
お仕事をきいたら/あんたは答えたわ
堅気な商売だから/安心してついてきな
喋ったわねジョニー/嘘ばっかりジョニー
騙したのねジョニー、初めから/憎らしいジョニー
にやにやしているジョニー/[くわえ煙草はおよし、下司!]
スラバヤジョニー 酷い人ね/スラバヤジョニー でもこんなに好きなの
スラバヤジョニー 苦しいのよ/残酷なジョニー でも好きなの

というのが1番の歌詞です。原詞はドイツ語です。(作者は確かブレヒトあたり。)

もし次のレスを付けようという方がいらしたら、タイトルは「波乗りジョニー」でお願いします。(ベタ)

2003.8.13

波乗りジョニ―

赤い夕陽を浴びて 影がピッチに帆を立てる
やがて消えゆく愛の灯に 人は追いすがる
「出逢い」「別れ」のたびに 二度と恋に落ちないと
誓う孤独の太陽が 涙で滲む
これに、庄野真代の「ピエロのように」を加えると
いつでも気づいたはずよ
私がそばにいたことは
水玉模様の服は私の涙
ぐるぐるまわっておどる ピエロのように
ピエロのように

シク、シク何だか悲しくなって、しらふでいられない、
甘酒飲んでくるから待っていて。
僕が「日曜はだめよ」の映画をことのほか
愛するのは、主役のメルナ・メルク-リが
どんな悲しい物語を話す時も、最後に必ず
「そして、皆で海岸に出かけました」で終わらせる
人生に対する態度です。
甘酒の酔いがまわってきた勢いで申し上げます。
上の歌詞の後に付け加えましょう。
衆人監視のもとで、二人でサ-フィン
しましょう。さらに2cm近ずいて、エ- 96cm
離れてです。

幻のKより
海は冬行くのがすきです。流木や奇妙に穿たれた石、
そして波で洗われたガラスの欠片を、風に吹かれながら拾い集めるのです。
冬がよかったのは、葉山の海でした。
風と波が創り出した岩の造形が、とても不思議でうつくしかったのです。
ほそぼそと開いていた海の家で、
小さな巻貝ばかりひと掴み買いました。
白茶けた毛色の犬がいました。

2003.8.14
予感という現象は、断片的な情報が未だ整理されていない時に起こる。
今のところコンピュ-タ-には起こり得ない。脈絡の無い現象を
何故か頭脳は瞬時に関連づけ、結論を出す。予言は無意識の願いだから、予感とは異なる。
例えば、家族の乱れている靴を並べ直す時、次の様に考える。
乱れている靴を履くのと、きちんと並べた靴を履くのとでは、掛かる時間が異なる。
この一瞬の時間のずれが、事故から身を守ってくれます様に。
これが祈りだ。だが実際には、全ての事は起こり得る。
自分にはどうする事も出来ないものには、心を悩ませてはいけない。
この諦観が私の場合不安を消し去ってくれる。

2003.8.15
「あなたは、H2Oに似ているわ!」
「シクシク、どうして僕はこういった難しいことを言う女性に直ぐ捕まるんだろう」
「100パ−セント純粋な水は、電気分解出来ませんが、僕は不純なので出来ますよ」
答えが気に入ったのか、入らないのか頭のてっぺんから足のつま先までジロリと僕を見る。
おばあちゃんが良く言っていた「女は恐い」。でもここで逃げ出しては男が廃る。
「水は咽の乾いた時に飲むものです、分解してどうするのです?」
「彼女はこの僕に因縁をつける気らしい、どうしょう、そうだ困った時の膝枕理論だ」
「御言葉ですがお嬢さん、それは僕を膝枕したいと言う意味ですか?」
「何故私があなたを膝枕しなければならないのです?」

その時私は悟った、私は何と罪深いのだろう、
今まで、相手に求めてばかりいた、、、つまり膝枕をしてもらうことばかり考えていた。
今度は彼女の頭を僕の膝にのせ、おでこを撫ぜながらこう言おう。
「人生は咽の乾く事ばかりではないのです、そして、ドレミの歌をうたってあげよう」
今日も又雨が降り続いている、天気になって欲しい。

2003.8.16
そうだ忘れていた、僕は魔術師だった!滅多にやらないけれど、
天気になる魔術を行おう。エメラルド・グリ-ンの三つの聖なる「逆三角形の眼」にかけて、
10日以内に、天気になります様に。 あ!狸が行く!

2003.8.17
日記暫くお休みにします。


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