伝説のサパンヌ39の物語

サパンヌのキャプテンを務めたこともある、内田良平は人生の新たな出発点に立った時、ふと考えた。
「そうだ、これからは俳句を生きる糧としよう」

それで彼は、ミシガン大学の教授まで上り詰めたけれど
他の教授と大喧嘩して、職を投げ捨て、日本に帰ってきた佐藤裕子に相談した。

http://www.hirokosato-pijanowski.com/profile.html


佐藤裕子:「あんたが句会の主宰をするには、十年早い!私が主宰になります」

内田良平:「はい」



句会風景




サパンヌ39の連中は段々エスカレ-トする仲間です。
ハワイから日本に戻る決心が未だ付かず、ハワイに残していた彼女の家で句会をする事になった。パ-テイ風景。



庭での集合風景



句会は「遊句会/ゆうくかい」といい、ネットでやるのですから、ある日電話が掛ってきました。

佐藤裕子:ジュン、あんたPCをやりなさい。

高松潤一郎:僕は省エネ的人間で無駄な電力を使う事や、面倒で大変な事は嫌いです。

佐藤裕子:誰に向かって嫌、と言っているのですか!?

高松潤一郎:わ、判りました遣らせていただきます



主宰の家のベランダから海を眺めていた、句会のメンバ-には参加していなかったが、牧野守良が、
景色に惑わされ、突然言い出した「僕達は美術部に入っていたのだから、展覧会を開こうよ」


next