言葉の部屋




しあわせの絵

 最近ウイ-ンの美術学校を卒業して日本に帰ってきた女
性の画家から聞いた話であるが、近頃の美術学校では、面
倒で難しい古典技法を学ぶ様な学生は殆ど皆無に等しく、
てっとり早いモダン絵画や、コンセプトア-ト等のような
仕事に走っていて、この勉強をしているのは日本人留学生
だけであると云う。
 テンペラと油絵具による混合技法は戦後ウイ-ン幻想派
によって日本に紹介された。以後数多くの留学生がウイ-
ンに学び、この技法が我が国に定着した。今や古典技法が
世界で日本だけに残るのではないかと冗談を云う人さえいる。
 高松玲子さんはその技法をオノデラ、マリレ女史の主宰
する<ヴィエナ、マルシュ-レ>で学んだのであるが、私は
そこの第一回発表展で彼女の作品を見て、詩情の豊かさと
腕の確かさに驚いたのである。
 彼女の絵は、いま流行りの有閑夫人が通うカルチャ-セン
タ-の仕事では無い。聞けば女学校時代に芸大を志しデッ
サンに励んだそうだから、その素質が今ウイ-ン古典技法
によって花開いたといえる。
 画面に現れる幸せな女主人公は彼女自身の少女時代の追
憶であろう。この無垢で愛らしい彼女の絵を眺めていると
心が安らぎ、絵の大切な原点がここにもあったのだなあと
思う。難解な芸術論はしばらく忘れ懐かしい夢の扉を開こ
う。
   青木画廊主  青木外司



森の帽子屋さん

こういう絵を見ていると、人はおのずと童話劇
の脚本家になる。絵の中からいろいろなスト-リ-
が浮かび出てくる。
もちろん、画家は原作者というべき存在である。
「帽子屋さん」であるこの森の少女は、どんな家
族に属しているのか。一人ぼっちで兎のほかに友
人はいないのだろうか。たった三個しかない帽子
だが、買い手は果たしてあるのかしら......。
描き出される物語は人によって異なるだろうが、
どんな他愛ない話でもいいから、ときには自分が
脚本家になる童心は大切なものではないだろうか。
少女期の女性に特有の自己疎外感を思い起こし、
再び少女の心情に立ち返って描かれたこの一篇の
童話劇的絵画はいささか古風かも知れないが、人
生の根源へのノスタルジ-を誘うものがある。
少女からいきなり「女」になってしまうブロイ
ラ-・チキンの時代に失われた貴重なものがここ
にある。

瀬木慎一  医薬の門の扉絵の為に
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