画集「世紀末の黙示碌」

グロテスクについて
高松潤一郎
毎日新聞社 1987年3月30日発行


異なったものが溶けあうというという意味において、本質的にグロテスクは愛の別名である。
必然を無視し、本来の意味「愛」を離れて、単なる怪奇趣味のためにのみ、異種どうしを
繋ぎ合わせた罰として、病的なもの、精神に作用する毒が生まれた。
勿論私は毒が流失することに異議をとなえる者ではない。毒はあるべきなのだ。

今日世界が辛うじてではあるが、正気を保っていられるのが不思議に思われる時がある。
無意識のうちに世界は、ある種の人間達が生み出す毒を、薬に変えているのだ。

もっとも現在では科学者達が盛んに、細胞の段階で異種間の融合を企て、それを育てている。
画家の想像とは違い、彼等は実際に創り出しているのだ、、、、、。
科学者達もさすが、ただ遊んでばかりはいないとみえる。融合の秘密は、
創造の秘密と置き換えてもよい。極小の世界と極大のそれにおいてのみ解くことが
可能だということを知ってしまった。

そこで楽観的に観測してみても、画家のたかだか想像力で生み出された架空のものが、
いつまで毒であることができるか、、、、、。
まあ嘆いてみても始まらない。感性の人間である絵描きは、本来分別など持ってはいけないのだ。
取り敢えず今は世界の正気のために、その毒を振り撒くのが私の仕事である。
時折、ある種のためらいと、深い溜息をもってではあるが、叫びたくなる時がある。
「この世に起こる事は、きっと皆必然なのだ。怪物を創り出すのは恐らく[虚無]と言う名の
[神]に対する人類の復讐なのだ」と、、、、、。

しかしながら、実を言うと私は天使なのである。わめいた後に神に祈ってしまう。
「願わくば、これからも世界は続き、いつの日にか哀れな私達にも[生]の意味が
理解出来ますように、、、、、。」