「気まぐれ日記」







2011年年11月21日


    


山本掌という幻想俳句とも言うべき、エロスとタナトスを詠う特異な俳人がいる。
彼女はメゾ ・ソプラノ歌手でもあり、金子兜太の一番弟子ともいうべき人です。
漆 黒 の 翼   山本 掌
その彼女が個人誌「月球儀」四号を今般発行しました。

特集は「声と言葉の身体」のありようを 俳人・田中亜美氏、オペラ歌手・渡辺健一氏、
歌舞伎に関して丹羽敬忠氏に書いてもらっています。
更に、萩原朔太郎撮影写真に彼女は俳句を詠んでいます。

そして何と!高松潤一郎の絵まで載せてくれました!!
一体、僕の絵を俳句の本に載せようと思う俳人が他に居るでしょうか?
上記の画像は、左:「月球儀」表紙装画:司修 題字:伊豫田晃一
中:萩原朔太郎撮影写真 波止場
右:高松潤一郎「月の粉」

僕の絵は他に「通りゃんせ」「夢占い」「吸血鬼伝説」「火幻」等が載っています。
僕のパンフレットを書いてくれた澁澤龍彦さんものっていて、これは将来古本屋のガラス・ケ−スに収まる運命を持った本に間違いありません。
僕は普段値段のはっきりしない古美術が好みなので、もしこの本に興味のある人には、譲る価値がある人と僕が認定してから、
裕福な人には一冊一万円、そうでない人には千円で売りたいと思います。

将来子孫に宝を残しましょう。
それでは皆さん良い夢を。

2006年8月23日



母は北海道の小樽で生まれました。
小樽は前が海で後ろが山の環境が、とても御宿に似ています。
母は、人情も含めて、生まれた環境に似た
御宿がとても好きでした。旅館をやめた後も
その地を去りがたく、長い間くらしていました。

生前夢語りに「一体あじろ苑の女将はどうしたんだろうね、
何時の間にか消えてしまったね」と御宿の方に言われる様な
去り方をしたいと言っていました。思い出だけを残し、
なるべく迷惑を掛けずに去って行きたかったのでしょう。

子供孝行で歳老いてからも、僕達にも何も迷惑を
掛けるどころか、最後まで僕達を逆に心配してくれました。
感謝の言葉もありません。
そういう母の思いを受けて、葬儀は御宿では執り行わず、
僕の住んでいる処で、親族だけでおこないました。
遺言で言い残されています。骨のほんの1部を細かい粉にして、
御宿の沖のほうに散骨してほしいと。

実際にやれるかどうかはまだ判りませんが、できることなら
遺言通りにいつか実行したいと思います。
御宿での楽しい思い出をあの世に持っていく、
といつも言っておりました。
戒名・釋尼妙華  85年の生涯でした。  合掌



2003年11月16日

埼玉近代美術館で、来年の1月12日までやっている、上村次敏氏の遺作展を見てきた。
彼は時々我が家に来て、薪割を手伝ってくれた間柄である。上村氏の奥方と青木外司氏のギャラリ-・ト-クが
とても面白かった。一般のイメ-ジとは異なり、実際の画家というものは、猛烈サラリ-マンに似ているのだが、
上村氏にはそれにプラスすることの、狂気に近い真面目さがあり、あまり類の無い画家だったと思う。
会場は人で溢れていた、二次会は豆腐の料理専門店で40人ほど集い、前に座った青木氏に、
「お前も美術館でやらなければ」といじめられた。その後同席していたコレクタ-の松崎アラン潤氏と
15年も青木画廊に勤めていた、桂川あかねちゃんが我が家を訪ねてくれた。
あかねちゃんのお兄さんは桂川潤と言い、何と!本の装丁を一年で何百冊もやっている人だった。
お父さんは有名な桂川寛だし、母親は有名な和紙の人形作家で、美智子皇后がお買い上げになったくらいの人だ。
そんなに優れた家系なんだから、あかねちゃんに子孫をつくりなさいとお説教してあげた。
もしかしたら、余計なお世話だったかもしれない。
さらに松崎氏の先祖は立教大学の創設者で、僕の絵は勿論、女房の絵も持っていた。
コレクションの数は1000点を超えると言う。まったく世の中には凄い人が、ひっそりと
生活しているものだ。お別れに我が家の柿をあげたけれど、手作りの梅干を持たせるのを忘れた。残念。


2003年10月11日

もう一ヶ月近くも前になるが、小説家の下川次郎さんが面白いよと言って、
小川洋子の「博士の愛した数式」という本を送ってきた。僕ならこの本を楽しめると手紙に書いてある。
数学アレルギ-の人でも、この心温まる物語は判るのではないか。
舞台は日本なんだけれど、何故か博士が時々アインシュタインの顔とダブッてしまう。
家政婦や博士のキャラクタ-が日本人離れしているからかもしれない。
でも登場人物達に、抵抗無く感情移入出来たし、何一つ派手な事が起こらないのに、
読後感は実に幸せなものだった。何も起こらないというのは、今の時代のキ-ワ-ドかもしれない。
良くこの物語を書く気になった!僕ならその勇気も含めて、五段階の評価で五をあげたいと思う。


2003年9月20日

今日、谷崎潤一郎の「春琴抄」を見てきた。地歌と地唄舞の入った朗読劇だ。
簡潔な朝倉摂の舞台美術も相まって、爽やかな緊張感が漂う。
実際にはまず起こり得ない物語に、現実感を与える事が出来た脚色家と
出演者の力量に驚いた。良いものがさり気なく現われた時には、
事前に知らなかった分だけ驚きが大きい。
小唄や小唄振りはかなり見聞きしていたが、地唄舞は初体験だった。
前から聞いていたが、本当に畳み半分の空間で踊るのだ!
確かに舞いの中の舞いだ、派手に動く方が楽だと思う。この禁欲的な
官能の舞い!
ところで、どうして地唄と言わずに地歌と言うのだろう?
地歌の小原直さんの声がきれいだった。それだけでなく、声が銀の鈴の様に
とても心地よく耳に響く。個性的な声かもしれない。
三味線、琴、唄、そして目を閉じた身体から発散する妖気、、、
以前画廊で会った時とはまるで違っていた。
僕は知らない内に凄い人間と出会っているのかもしれない。


2003年9月9日

池田忠利さんの個展会場で、ヨシダヨシエさんに会えた。
来客は多いのだけれど、椅子に座って話を聞く人は僕と、女性の画家と、彼の熱狂的な
フアンらしき美しい女性の三人だけなので、とても楽しかった。池田さんは来客にてんてこ舞い。
ヨシダヨシエさんは嬉しいことに、僕のことを頭の片隅に覚えていてくれた。
「会ったことはあるのですが、お話するのは初めてです」と言うと、
「僕は何時も女性ばかり見ているからね」と嬉しい答えが返ってくる。
「実は僕もそうなんです」女性の話ならまかせて頂戴、
この分野なら彼に太刀打ち出来ると思った。
ところが残念なことに女性の話はそこまでで、戦争の話になってしまった。
残念ながら戦争に関しては、彼にかなう訳がない。他もかなわないけれど、、。
高齢で病身であるはずなのに身体から滲みでてくる、粋な雰囲気とセンスが
見ていて心地良い。和服の着流しに、足袋、草履、山高帽、、、。
気品と風格があれば年齢は怖くないという証明書に出会った意義の有る日だった。
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